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氷面鏡(ひもかがみ)

街角ウォッチング。

昨日「プレバト」で、氷面鏡(ひもかがみ)というのをやっていた。

寒さもうひと我慢か…。

 

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寒の木立

寒の木立 凛として 孤  腐阿魔多難禍

由緒無く大木でも無く、それでも人知れず、春には芽吹き葉をつけるだろう。

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寒中

寒中お見舞い申し上げます。

暇と齢のせいか、時候時節が気にかかる。
寒中とは小寒の始め(1/5~)から大寒の終わり(2/3)までの30日間、小寒の方がむしろ寒さがより意識されるとも。

二十四節気というものがあって、一年を24等分して季節の名前を付けたもので、中国から日本に伝わってきた。
ただ中国の気候をもとにしてつくられているので、日本の気候とは合わない部分があり、これを補うために日本では「雑節(ざっせつ)」という季節の区分け取り入れられている。
暦は元々太陽や月の運行から導かれているので、いわば理系の世界、そこから季節が生まれ、動植物や農耕に関連した表現名称が生まれていて、こちらは文系の世界。

ともかく暦に関しては非常に奥が深く、これから少しずつ見ていければと思う。

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三社参り

無駄な抵抗、億千万社参り第二弾。

下手な鉄砲は数打っても当たらない…。

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寺社巡り

深くて暗いこの逆境を跳ね返すには、三社参りではおぼつかぬ。
数で勝負の怒涛の寺社巡りも、賽銭の少なさが仇となるか。

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新年巻頭言

ファーマータナカの新年巻頭言。

「1年の計は365日」、まだまだ「飢餓では死ねん」。
「飛ぶ鳥を犯す勢い」で、「妻の怨返し」にもめげず、「万事急須」でお茶をつぎつつ、「貧乏金無し」の新年は、「備えあれば嬉しいな」。
「永眠暁を覚えず」の場合、「年寄りの死に水」よろしくお頼み申し上げます。

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門松

街角ウォッチング。

最後に門松を飾ったのはもう20年位前の旧上津江村にいた頃だった。

街中を物色してみたが、不景気かそれとももう前世紀の異物か、民家はおろか企業にもほとんどなかった。画像は「翠香園ホテル」と「久留米岩田屋」。

昨日もテレビで、日本の寿司や蕎麦や和太鼓の名人が、外国で日本の文化擬きをやっているところに赴いて、正しい文化を伝授するというドッキリ企画番組をやっていたが(面白くするための企画自体にはあまり賛同できないが)、若い頃左程興味を持てなかったこの日本という国の、せせこましくせからしい文化というシロモノの意味を知るにつけ、素直に感心できるようになったのは、単に齢を重ねたという理由だけではないと思えてくる。

ひとつひとつのもの、そして時間と空間が数珠繋ぎのように連綿と繋がっており、そこに確かな感性と細やかな心情を見ることができる。

さて門松だ。

松は一年中葉を落とさない常緑樹であるため、「永遠の命」を意味する。
竹は、とても生長が早く2・3日で身の丈程になり、真っ直ぐ上に伸びることから、生命力を象徴しているとされ、長寿繁栄の象徴ともされている。
梅は寒さに強く、年の中で最も早く花が咲く開花樹で新春を意味し、実を付けることで大変縁起の良いものとされる。
南天は、ナンテン(難転)「難を転ずる」に通じる縁起物として、正月飾りなどに用いられるようになった。
葉牡丹は、花の少ない晩秋から冬にかけて鮮やかな葉の色で楽しませてくれ、幾重にも重なり合う葉が、「吉事を重なる」とされて、古くは江戸時代から楽しまれてきた。

門松の飾り初めは12月13日、門松をお飾りする期間は、いわゆる正月「松の内」の間、本来の「松の内」は1月15日の小正月までとなっている。
門松を処分は、神社で行われる左義長(さぎちょう)と言われる儀式だが、これは別名ドンド焼きなどとも言い、正月に行われる火祭りのことで、田舎暮らしをしていた時、毎年体験していた。
1月14日の夜や1月15日の朝に行われ、縁起物を焼いて、天に帰すと意味と、同時に亡者供養のための火祭でもある。

ということで、しみじみと他人様の門松を眺めた次第である。

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