芹を摘む

農を生業としていた頃、ハウス脇の側溝に芹が自生していて、摘むとあの独特の芳香が、辺り一面に拡がった。
水耕栽培だったので、遊び半分にその芹を始め葉わさびやハーブ等様々な葉物を育てていたのも、今となっては懐かしい想い出だ。

大分県は、実は水耕栽培におけるミツバの大産地なのだが、御多分に洩れず市場価格の長期低落傾向に歯止が効かず、代替品目としての芹の生産も行われていた。
それとは別に近隣の七草の生産地では、年末年始を返上しての出荷作業が行われていたのも、毎年の風物詩。
百姓には、皆さんの休祭日に働くという、別のカレンダーが用意されている。
 
芹の名は競(せ)り合うように群生していることが由来というが、日本語の成り立ちはいちいちとても風流だ。
 
「あかねさす 昼は田賜(たた)びて ぬばたまの 夜のいとまに 摘める芹これ」(葛城王
 
昼は仕事が忙しく、夜にようやく摘んだ芹だよと、意中の女性に芹を送る…、万葉の昔から季節の風物を愛でる日本人の風雅を、スーパーの棚の芹にちょっぴりお裾分けしてもらう。
 

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