庭はぽかぽか

春が遠い。
春と言えば春一番春一番と言えばキャンディーズ、という連想もあるが、「春一番コンサート」と言うのもあった。

1971年〜79年まで、毎年GWに大阪・天王寺野外音楽堂で開かれていたコンサートだ(その後復活)。
今振り返ってみると、メンバーが凄過ぎる。
その後の日本の音楽シーンを築いていくアーティスト達がゴロゴロいる。

そこにも出演していた知る人は知っている(当たり前だ)小坂忠とフォージョーハーフ(四畳半のもじり)というバンドがいた。
春が待ち遠しくなると何故か思い出す、シンプルだけど心地よい曲。

♬ 窓を開ければほんのりと
沈丁花の匂いが
家の中まで入り込んできて
怒ったった君の顔までもうれしそう
庭はぽかぽか 心うきうき
庭はぽかぽか 心うきうき ♬

♬ 窓を開ければほんのりと
沈丁花の匂いが
家の中まで入り込んできて 
隣の猫も伸びばかりしてうれしそう
庭はぽかぽか 心うきうき
庭はぽかぽか 心うきうき ♬

春が遠い。
春よ来い。

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春一番立春から春分の間、日本海に低気圧が発達した時に、初めて毎秒8m以上の南よりの風がふ吹いて気温が上がる現象。

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そんなに不潔ではなかったと思うが、髪は肩まで伸ばしていた時期に、電車に乗ると何故か冷たい視線を感じた。


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ものの芽

「 ものの芽の 赤のみらいは たしかなり 」
   〜 腐阿魔多難禍

年寄れば、ものの道理は自ずと分かるものだと思っていた。
今は春が来ることくらいしか分からない。

解釈は、読み手に丸投げの、逃げの一句。

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立春

世間未だモノトーンの只中にあり
この2年で何もかもが変わってしまったかのように

世界既に春のカラーの中にあり
何にも変わっていないかのように

梅ほころび東風吹けば春立ちぬ

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星⭐️にも旬がある。

夜空を見上げることもめっきり少なくなった。
私に限らず大方の人は、見上げる余裕がないというか、見上げる心境にならないのではなかろうか。
物理的にも精神的にも、見上げる立ち位置にいないという言い方もできる。

海外に限らず国内ででも幾つかの旅の途中に、
農を生業としていた時代の北海道や大分での日常の中に、
満天の星は確かにあった。

西洋名プレアデス星団、和名は昴(すばる)。

それは、冬の夜空に輝くおうし座にある、数百個の星星からなる。
中でも肉眼でも見ることができる6個の明るい星は、ギリシャ神話に登場する7人姉妹にちなんだ名前が付けられているという。
(星がひとつ足りないのは流れ星になったという伝説がある)

「星は昴(すばる)彦星(ひこぼし)太白星(ゆうづつ)よばい星少しをかし 尾だになからましかば まいて…」
(星はすばる、ひこぼし、宵の明星が良い。流れ星も少し趣がある。尾を引かなければもっとよいのだけれど。)
清少納言の著した「枕草子」の一節(第236段)が有名らしいが、昔も今も不勉強でほとんど覚えがない。

とはいえ太古の昔から、
地球のどこからでも、
人類は時空を超えて空を見上げ、星を追い、物語を紡いできた。

今ひとり、マスクを外して、昴を探してみるとよい。

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節分

節分とは節(せつ)すなわち季節を分けるの意。
鬼👹は陰(おん)すなわち目には見えないもの=邪気。
豆はま=魔、め=滅、すなわち魔を滅する。
故に豆まきは、邪気を滅すること。
こじつけっぽいが、豆繋がりでコーヒー豆。

今日から如月(きさらぎ)、2月だ。
グアテマラでの収穫期は11月〜3月)

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