俳句
目には青葉 山ほととぎす 初鰹 ~ 山口素堂 素人でもすっと口について出るこの有名な句は、俳句としてもどうも凄い句のようである。まず、「目には青葉」の「に」ではなく「には」でわざわざ字余りにしているのは、その後の「耳には」「口には」を暗に強調し…
「梅一輪 二輪三輪 四輪五輪」(字余り) 腐阿魔多難禍 (解釈)梅が一輪二輪三輪と、沢山咲いている。もう七輪もいらないくらい暖かくなったことよ。 梅には「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」という代表的な句がある。芭蕉の弟子である服部嵐雪が詠んだ句である…
大寒に大寒波 腐阿魔多難禍 第七十一候は「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」。身も心も懐も寒いのである。それでも春は近いのである。 画像は裏宝満難所ヶ滝 2018/01/28。
ファーマータナカのよそんちの実シリーズ「南天」。 おもひつめては南天の実 種田山頭火 酒席でいつまでもダラダラと飲んで席を立たないのを模して「ナンテン組」と言う。移住していたド田舎での寄り合いで、誰とは言わぬが、カアチャンに毎度呼びに来られて…
山法師 朱(あか)き実ぽつり 秋思かな 腐阿魔多難禍 夏、その白い花で一面真っ白だった山法師の木が、ぽつりぽつりと朱色の実を付けていた。今から膨らむであろう緑の小さな実もびっしりなっている。 巡り来る豊穣と紅葉の時を前に、おっちゃんは淋しいので…
「 ものの芽の 赤のみらいは たしかなり 」 〜 腐阿魔多難禍 年寄れば、ものの道理は自ずと分かるものだと思っていた。今は春が来ることくらいしか分からない。 解釈は、読み手に丸投げの、逃げの一句。
「筍」断章。 寂れたアーケード街の空き店舗跡に、もうずいぶん前から農産物直売所みたいな店があって、そこだけはそれなりに賑わっている。「今年はまだ筍って出てないの?」それとなく言っておいたら、タッパーいっぱいの煮物が出来ていた。 こてこての母…
地蔵菩薩も 黄葉し 腐阿魔多難禍 秋が深い。 Google マップには「永勝寺仏像」とあったが、ここにある由来も何故黄色なのかもわからなかった。釈迦如来の死後56億7千万年後(ちと長いぞ)に弥勒が如来になるとされているが、それまでこの世に現役の仏は存在…
「遠雷や 二度瞬けり うすネオン」 腐阿魔多難禍 大雨警報続く夜明け前、遠雷が聴こえる。 俳句は「省略」と「物」で語るという。 語らなければ解らない。 語り過ぎれば興ざめだ。 ネオンは元々瞬くが、何故かその灯りは薄れていて、それが遠雷で二度光った…
紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘(正岡子規) 整いすぎてて、俳句の優等生のよう。 「紫陽花や」で初句切れ、「昨日の誠今日の嘘」でで対句法、「今日の嘘」で体言止めの技法が使われている。 紫陽花は土壌の酸性度によって、又花が咲き進むにつれて色が変化する…
今年は街に、雪は降らぬが、雨が降る。その街も歩けばネタに当たる。 元句は「我が雪と思へば軽し笠の上」(宝井其角)とか。俳句も秀作は、格言ことわざに昇格する。 苦しいことも、辛いことも、自分のためだと思えば気にならないことのたとえだが、憂き世の…
ファーマータナカの歳時記的心。 「 蝋梅の 黄の香の誘ふ 登山口 」 腐阿魔多難禍 先日の油山登山口に咲いた可憐な黄色のロウバイ、通りすがりにその香をかぐと、寒さの中、山とまだ遠い春の予感に、誘われた気がした。 蝋梅(ろうばい)は、臘月(旧暦12月の…
「 ぼろ着て着ぶくれておめでたい顔で 」新年を待つ。
ファーマータナカの絵本棚。 脳も眼も霞がかかって、活字が読めん。来年は幼児退行で、絵本になるだろう。できれば添い寝の読み聞かせがありがたい。 酔へばあさましく酔はねばさびしく 酔へばいろいろの声が聞こえる冬雨(危ない?)― 種田山頭火
落ち葉褪せ 踏んであゆむ 腐阿魔多難禍 落陽を背に、山頭火の悲惨に憧れて…。 無駄に無駄を重ねたやうな一生だつた、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたやうな一生だつた ー 種田山頭火 #下牟田公園
西新界隈 そぞろ歩いて 壱弐軒 腐阿魔多難禍 (無季俳句) 親子で何年もやっているような、路地裏の何の変哲もない店に飛び込んで、日本酒。 友人の足がひるむほど、若者達でごった返すカジュアルな洋風居酒屋で、テキーラ。
春めいて ライン電話で 一献と 腐阿魔多難禍 このところ投稿が桜尽くしはご容赦の程。 朋よりの昔ながらの花見酒のお誘いは喜ばしい限りだが、その誘いがLINEでしかも無料電話というところに感じる時代の移ろいが可笑しい。
マイナスばかり 有象無象の 春を待つ 腐阿魔多難禍 田舎の小学生だった時、棒温度計が4℃以下だったら、朝の自習はしなくてよく、校庭に勢いよく飛び出して遊んだ。 現代ではデジタルでマイナスが並ぶ。 温暖と言われる九州でのこの有様はやはり異常か、あら…
「もう三年 あと三年と 日記買ふ」 腐阿魔多難禍三年日記にしてもう何年経つだろう。断捨離すべき世代そして時代なのに、役立たずのデジタル記録(遺産というより塵)を増やす困った性格。それでも、日々一抹の文字を書くこと、大切にしたい。
「青柿落ちて 累々」 腐阿魔多難禍1年前には「落ちてこそ やがてたわわの 柿青く」と詠んでいた。その時には、落下を犠牲にして育つ実に、未来への希や嫉妬めいたものを感じていたようだが、こりゃあ暗いだけか…。
「人は日々旅にして旅を栖(すみか)とする」 「世の中の流転を見極め、変化の中に風雅の誠を見い出すべし」 と、芭蕉は明日5月16日に旅立った。 己に流転はあるが風雅無し、が旅には出たい。 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に…
青葉雨 音色にしばし 足止めて 腐阿魔多難禍 このまま暑くなってしまいそうな時にちょっと小休止、青葉に優しい雨音を聴いてみませんか。
雨に舞えよ舞え 散るが定めの 桜なら 腐阿魔多難禍 桜流しは風雅かやけか!? 雨に散る桜を風雅と虚しさととるか、宴の予定のない孤独人のやけっぱちととるかはお任せします。
本日桃の節供につき、梅は散りかけています。 「暁鐘の 一打に梅の 白さかな」 有馬朗
春光に 連なれ黒き 土竜塚 腐阿魔多難禍 筑後川河川敷、柔らかな日差しの中で地中はすでに春、盛り上がった黒土の連なりに、もぐらの躍動を見た。 もぐらは、地中に棲むミミズや昆虫の幼虫を主な食物としていて、もぐらのトンネルは巣であるのと同時に狩猟用…
草の戸も住替る代ぞ雛の家(くさのとも すみかわるよぞ ひなのいえ) 春、芭蕉は、はやる旅への想いを、「男やもめで家が荒れ果てるより、雛人形を飾るような幸福な家族が住むほうが余程よい」と、この歌を詠んだ。 旅か…、そういう季節になりつつある。
寒の木立 凛として 孤 腐阿魔多難禍 由緒無く大木でも無く、それでも人知れず、春には芽吹き葉をつけるだろう。