青葉

目には青葉 山ほととぎす 初鰹
 ~ 山口素堂

素人でもすっと口について出るこの有名な句は、俳句としてもどうも凄い句のようである。
まず、「目には青葉」の「に」ではなく「には」でわざわざ字余りにしているのは、その後の「耳には」「口には」を暗に強調しているという。
次に「青葉」「山ほととぎす」「初鰹」と全部季語で、俳句ではタブーとされる掟破りのトリプル季重なり
更には句がぶつぶつに切れてしまう体言止めによる禁じ手の三段切れ。

目には姥(うば) ホトホト困り 初かつぎ
 ~ 腐阿魔多難禍

それに引き換え、はっきり言って凡句である。
季重なりどころか季語もなく、字余りや三段切れなどの技巧もない。
歩行が困難になった母を少しは気分転換させてやろうと、超久し振りに買物に連れ出してみたのだが、案の定動けなくなり、おんぶしながら楢山節考が頭を過ぎったという、洒落にもならないブラックな一句。

梅雨入りの今日から6月、「水無月(みなづき)」だ。

 

キンシバイ

路傍の花シリーズ「キンシバイ」。

それは初夏の風の強い日だった。

黄色の花の群生が県道脇にこんもりと茂って続いていて、それが青い風に大きく波打っていた。

蜥蜴マークのついた黒い大きなLARKINSのリュック(似合わん)を背負った初老の男が、よたよたとクロスバイクを走らせていた。
中にはマックスバリュ久留米西店の食料品日用品がギッシリはいってる上、両ハンドルにはWEST久留米白山店の持ち帰り肉ごぼう天うどんと、ほっともっと久留米庄島店の特撰幕の内弁当をぶら下げていた。
全て母の御所望の品々である。
結末は明らかだろう、縁石を避けようとして案の定大コケして左内腿を強打、青痣が今も癒えない。

キンシバイ(金糸梅)の名は中国に由来し、5枚の花弁を梅に、長く突き出た雄蕊を金の糸に喩えたもの、とはいつものGoogleレンズの教えである。



Happy Mother's Day 💖

大してハッピーでもありがたくもないけれど気は心。

私の娘と私から。

納得の名言をひとつ。
Our mothers always remain the strangest, craziest people we’ve ever met.
(母親というのは、私たちが今まで出会ってきた中で最も奇妙でクレイジーな人々です)。
 ~ Marguerite Duras(マルグリット・デュラス:作家)



踏青

万物が清らかで生き生きとした様子を表した「清明(せいめい)」は「清浄明潔」という言葉からきているという。
花一斉に咲き、蝶高く舞い、空碧く澄み渡り、風爽やかに吹く。

古代中国ではこの時期「踏青(たうせい)」と言って野に出た。
清少納言は牛車で山里に出かけて、車輪が草の下の水を踏んだ様をワンパターンで、趣がある(いとをかし)とか残念だ(口惜しけれ)とか言った。
― 蓬(よもぎ)の、車に押しひしがれたりけるが、輪のまわりたるに、近ううちかかへたるもをかしー
雨あがりの朝のサイクリングロードは所々に水溜りがあって、我それを避けて脇の青い草を踏めば、現代の清少納言になった、いとをかし。

巡り来た回春蘇生の時期、年甲斐もなくちょっぴり期待高まる。



椿

桜の花びらはらはらと宙に舞う
束の間とはいえ桜は咲いても散っても春の主人公
桜前線を追って北に走る友もいる

その傍らで椿がひっそりとだが見事な花を付けている
正に読んで字の如く春の木
だがその見事な咲っぷりよりもぽとりと落ちる様が好んで詠われる稀有な花

赤椿咲し真下落にけり 加藤暁台
赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐
落椿われならば急流に落つ 鷹羽狩行

武士のように潔いとも逆に首が落ちるようで縁起が悪いとも言われる
せめて死に際だけでも武士のようにありたい(たぶん無理)

4月 卯月(うづき)始まる





よそんちの葉っぱシリーズ。

Greeeeeeeeeeen 😍😍😍

桜🌸のピンクや白もいいけど、春の緑もいい。

ただ緑がらみの曲を思い出してみたら、春の萌え感はなく、郷愁や旅立ちや失恋の唄だった。

Green, Green
Greensleeves
Green Fields
Green, Green Grass of Home(原曲は死刑囚の唄)

The New Christy Minstrels 「Green Green 」(1963)を貼っておく。


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春の木漏れ日の中で君の優しさに埋もれていた僕は弱虫だったんだよね。」
春繋がりでこの唄も好き(暗い)。
森田童子 僕たちの失敗」


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