「筍」断章。
寂れたアーケード街の空き店舗跡に、もうずいぶん前から農産物直売所みたいな店があって、そこだけはそれなりに賑わっている。
「今年はまだ筍って出てないの?」
それとなく言っておいたら、タッパーいっぱいの煮物が出来ていた。
こてこての母の味も大好きだけど、きっとお育ちが違われるカミさんのちょっと上品な味付けも(大)好きだ。
ただよくある目隠しテストをされると、修羅場る可能性もある。
「竹の秋」という春の季語がある。
日本人の感性って、何て粋なんだろう。
地上の竹にとっては凋落期である晩春、筍に栄養を獲られて竹の葉は黄葉する。
逆に、秋には筍が一人前の竹となり、若葉を茂らせる。
その秋を又、「竹の春」という。
ひと昔前日田の山奥の山村に住んでいた頃、各々の農家の庭先では、専用の大きな鍋で、一斉に筍のあく抜きが行われていた。
毎日毎日、コレでもかというほどの御裾分け攻撃に、胸を焼いていた頃が懐かしい。
山歩きをした時に、思いがけず、荒れ果てた竹林に出くわすことがある。
竹は一つの根っこで繋がっているので、枯れるときは100年に一度位一斉に枯れるといい、その前触れとして竹の花が咲くという。
竹の花を見てみたい…、そんな乙な思いを巡らせながら、今宵も一杯呑んでいる(ハズはない)。