雨水と涙

ファーマータナカの今日の名言。
I always like walking in the rain, so no one can see me crying.
(いつでも雨の中を歩くのが好きなんだ。そうすれば、誰にも僕の涙を見られなくて済む。)
~ by Sir Charles Spencer Chaplin

「雨水(うすい)」の頃の朝、ちょっぴりセンチに…。
草木が芽生える頃、空から降るものが雪から雨に変わり、氷が溶けて水になる。

俺の涙を誰も知らない、ってか。

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梅の花

梅の花が盛りだ。

万葉集」では、梅の歌は植物としては萩に次いで多く、桜を凌ぐという。
それなのに桜のような華やかさを感じないのは、何故だろう。
桜は既に到来し満たされている感じに対して、梅は風待ち草とか春告げ草の異名があって、きっと未だ来たらずのイメージだから、待っているからだと思う。
風を待ち、春を待ち、人を待っているのだ。
待ち人来たらずはあったとしても、春は必ず来てくれるところが、せめてもの救いだ。


そんな梅を外国人に教えるのが、ちょっと難しい。
「sushi」程メジャーでないけれど、「ume」が一番的確らしい。
「plum(プラム)」は、「西洋スモモ」だし、「apricot(アプリコット)」は「杏(あんず)」だ。
強いて言えば「Japanese apricot」が一番日本の「梅」に近い英語表現のようだ。

やはりお酒の話で締めくくっておこう。
日本には梅酒があり、最近では梅リキュール も見かける。
アプリコット関連ではアプリコットブランデーがあるが、実はこれには「ブランデータイプ」と「リキュールタイプ」があって、それぞれ製法が異なっており、味わいや風味も異なる。
前者では、「PARINKA(パーリンカ)」(ハンガリー)、後者では「Lejay Creme D' Apricot(ルジェ・クレーム・ド・アプリコット)」(フランス)あたりが有名だ。

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梅は咲いたか

ファーマータナカの My Favorite Songs。

「梅は咲いたか 桜はまだかいな」
梅見て、ふとこのフレーズが頭を過ぎった。

言葉の歯切れの良さとメタファー、江戸端唄或いは小唄と呼ばれるもので、まさしく乙なものって感じ。
独特の音色、伴奏というより独立した音の動き、本調子二上がり三下がりだとか、三味線自体が又粋。

梅は咲いたか 桜はまだかいな
柳ャなよなよ風次第
山吹や浮気で 色ばっかり
しょんがいな

浅蜊とれたか 蛤ャまだかいな
鮑くよくよ片想い
さざえは悋気で角ばっかり
しょんがいな

柳橋から小船を急がせ
舟はゆらゆら波しだい
舟から上がって土手八丁
吉原へご案内

三味線弾いてみたい…。

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梅は咲いたか






 

ヘーゼルナッツチョコ

バレンタインデーが近い。

疾風の如きチャリ通勤のため、吾輩に密かに想いを寄せている彼女等(複数形)からの手渡しには困難がある。
おまけにこのコロナ騒動で、頼みの綱のお店のお姉さんからの数少ない営業チョコは、絶望的だ。
カミさんからは、疾うの昔に見離されて久しい。
義理チョコ(死語?)だとか、そのようなレベルはとっくに超えている。
それゆえ、普段から「自分チョコ」はふんだんに摂取を心掛け、肥満に努めている。
それでも如何に「0」を脱するか、それが晩節最大級の迷題だと位置づけている。

大方の期待を裏切って申し訳ないが、おっとまだ早いのに思いがけずいただけたのは、「とりあえず会った時に渡しとけ。」位のもんである。
うむ、チェコのヘーゼールナッツ入りのダークチョコ、送った人のセンスの良さが光る。

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この時期になると、「恵方巻」の予約だとか何だとか騒々しく、その風習は江戸時代あたりからの大阪発祥のようだが、その名自体は、高々30年くらいだそうだ。
恵方巻の登場で節分、豆まき、鬼は外、が霞んだ感がある。

鬼と言えば、今は専ら「鬼滅」だが、creature, demon, devil, Satan, ogre…、その由来から鬼を英語で表すのが難しいという。
般若(嫉妬や恨みで鬼と化した女性)や夜叉(インド神話に登場する人を喰らう鬼神)や鬼嫁もいる。
ついでに、今年の節分は124年ぶりの2月2日、恵方は南南東やや南だそうだ。

今日からもう2月(如月:きさらぎ)だ。

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お神酒

会社の神棚にお供えしてあったお神酒が、出社すると私のデスクに無造作においてあった。

一般論としては、お神酒には神霊が宿り、松の内が明けると「お下がり」として振舞われることで、御利益があるとされている。
個別論としては、「どうせコイツは、酒と名が付けば何でも飲むだろう。」てなもんである。

金粉金箔大いに結構、御利益を独り占めする覚悟だ。

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手水舎

お正月の手水舎には、花がいっぱい浮かべてあったり、生花が施されていたりする。
手水舎の存在自体がそれはそれで風情だが、新年の控えめなもてなしが、うれしい。

今年の初春月は、波乱の幕開け。
はてさて如何なる展開が待ち受けているのだろうか。
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