2023-01-01から1年間の記事一覧
線状降水帯、大雨洪水警報、筑後川氾濫警戒と、物騒な明け方。 ここは、幼い頃に聞いた「織姫と彦星の七夕伝説」を思い返してみよう。 「織女(しょくじょ)」は「天帝」という神の娘。神々の着物を織るのが仕事で、恋人も作らず働く姿を見た天帝は、天の川…
夏至の候、田植え真っ盛り。 苗って何株ずつをどのくらいの株間で植えるのだろうかって、元百姓の端くれだったせいかふと考えて、1反に何株植えてそれが何粒になるのか気になって朝から計算を始めたが、そんなことをしてる場合ではなかった。結果が判明した…
Some people feel the rain. Others just get wet.(雨を感じることができる人もいれば ただ濡れるだけのヤツらもいる) ~ Bob Marley 雨の季節は何となく音楽が聴きたくなる。雨の切なさや鬱鬱とした感じが、そして雨上がりのひとすじの希望めいたものが、…
秋とは百穀が成熟する時期のこと也。 稲穂が頭を垂れるのが「米の秋」、麦の穂がたわわに実る5月下旬から6月初旬が「麦の秋」。今まさに麦秋至(むぎのときいたる)。 子供の頃貧乏人は麦ご飯だったし、二毛作が当たり前だった。筑後平野にはまだその二毛作…
目には青葉 山ほととぎす 初鰹 ~ 山口素堂 素人でもすっと口について出るこの有名な句は、俳句としてもどうも凄い句のようである。まず、「目には青葉」の「に」ではなく「には」でわざわざ字余りにしているのは、その後の「耳には」「口には」を暗に強調し…
路傍の花シリーズ「キンシバイ」。 それは初夏の風の強い日だった。 黄色の花の群生が県道脇にこんもりと茂って続いていて、それが青い風に大きく波打っていた。 蜥蜴マークのついた黒い大きなLARKINSのリュック(似合わん)を背負った初老の男が、よたよた…
Happy Mother's Day 大してハッピーでもありがたくもないけれど気は心。 私の娘と私から。 納得の名言をひとつ。Our mothers always remain the strangest, craziest people we’ve ever met.(母親というのは、私たちが今まで出会ってきた中で最も奇妙でク…
万物が清らかで生き生きとした様子を表した「清明(せいめい)」は「清浄明潔」という言葉からきているという。花一斉に咲き、蝶高く舞い、空碧く澄み渡り、風爽やかに吹く。 古代中国ではこの時期「踏青(たうせい)」と言って野に出た。清少納言は牛車で山…
桜の花びらはらはらと宙に舞う束の間とはいえ桜は咲いても散っても春の主人公桜前線を追って北に走る友もいる その傍らで椿がひっそりとだが見事な花を付けている正に読んで字の如く春の木だがその見事な咲っぷりよりもぽとりと落ちる様が好んで詠われる稀有…
よそんちの葉っぱシリーズ。 Greeeeeeeeeeen 桜のピンクや白もいいけど、春の緑もいい。 ただ緑がらみの曲を思い出してみたら、春の萌え感はなく、郷愁や旅立ちや失恋の唄だった。 Green, GreenGreensleevesGreen FieldsGreen, Green Grass of Home(原曲は…
桜雨花を愛でに行くべきか宴の朋はいるか何でやるか何杯いくか悩みは尽きない
ポスターウォッチング。 久留米三大祭り「スプリングフェスティバル」。 コピーには、「「文化街さくら祭り」としてコツコツやってきましたが「久留米全体を元気にする!」一大イベントとしてスプリングフェスティバルと名前を変えてアップデートいたします…
路傍の花シリーズ「ムスカリ」。 時折山に登る。最近は専ら低い山をリーダー達に宛がい扶持に用意してもらい、唯金魚の糞の様について行く。何度か頂きを見上げてはまだまだかと内心落胆するが、大抵はただただ俯いて枯葉や瓦礫や土砂や泥濘の足元を見ながら…
「梅一輪 二輪三輪 四輪五輪」(字余り) 腐阿魔多難禍 (解釈)梅が一輪二輪三輪と、沢山咲いている。もう七輪もいらないくらい暖かくなったことよ。 梅には「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」という代表的な句がある。芭蕉の弟子である服部嵐雪が詠んだ句である…
もう思い出せないくらい長いこと、義理さえ来ないモテない駄目親父共よ、今日は決行の日である。 行きつけの密かに想いを寄せるかわい子ちゃんのいるコンビニ、そう、毎日その娘に会う為にわざわざ要らないものを買って散財しているあのコンビニである。 1. …
大寒に大寒波 腐阿魔多難禍 第七十一候は「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」。身も心も懐も寒いのである。それでも春は近いのである。 画像は裏宝満難所ヶ滝 2018/01/28。
絵馬ウォッチング。 古代、神様は神馬(しんめ)という馬に乗って人間界にやって来た。 やがて神事の際に馬を献上する風習が始まり、それが個人的な動機による神仏への願掛けとして、絵馬の奉納と形を変え現在に至っている。 改めてこのうさぎの絵馬を見てみ…
「一日の計は晨(あした)にあり、一年の計は春にあり」と言う。年老いても決意新たにしようとするあたりは、我ながら根が真面目なのだろう。まず前提として、人間の本質を見極めるところから始めるのが筋であろう。するとなかなか計が立てづらい現実が浮か…
うさぎぴょんぴょんしんねんぴょんあけおめぴょんぴょんことよろぴょん 年始から前頭葉多難…😵